超多分幸運な人生でした俺の人生について振り替えってみる。
こういうタイトルでとりあえず引きずり混んでみるのありかなと思ってこんなタイトルにしています。
決して嘘では無いので自分語りをしたい。
なので私の20年間を語りたいと思う。
1月23日
に生まれる。同じ誕生日というと葉加瀬太郎(情熱大陸)。岡山県というど田舎。最近は千鳥やブルゾンちえみなんかで少しだけ知名度が上がったかもしれない。
イメージというと桃太郎と吉備団子。
ん、あってる。そのイメージ。
正直困るんだよね、地方出身者ならわかるだろうが「何があるの?」とこの質問。自分はそんな特徴もあまり無い土地に生を受けた。
当時従兄弟のお父さんに抱かれた勢いで吐いちゃったりしたらしいが記憶がない(このお父さんは後に登場)、なお今は本当にいい仲です。
後に5人兄弟の長男となる訳です。
まず、幼稚園の頃はとてもやんちゃだったらしい。自分は覚えてないけど、母親から聞いた話では、毎日同じ年上の人に噛み付いていたとか。今はしません。
記憶も薄っすらとしか無い。のでスキップ。
小学校に入る
ここでもなかなか好奇心が旺盛だった記憶がある。もちろんのこと夏休みの宿題は8月31日に初めて、終わらすスタイル。
自分の父親はかなりのしつけというか、今からすると完全問題になるようなこともしてきたが何気にそれが普通だったように思う。友達の家に行って遊んでたらなぜか友達の親に拳骨された記憶があるが、まあそれも今となってはいい記憶、教訓だったと思っているから大した話では無い。
そのせいあってか、小学五年生頃にはかなり落ち着いていた。今でも行きつけで行っている美容室にもこの頃から通い始めた。初めて行った際、まさかの大人料金を取られそうになったことは今でも覚えている。
あと、少し恥ずかしい話かなり泣き虫だったように思う。悔しいって感情がかなり涙にでるタイプで今でもなかなか嫌な思い出。
ちなみに、現在は悔しさが向上心へ変わりましたね。
あとは小学五年生の時にはいじめを受けていた記憶があって、今もだけどそれなりに貫禄があったことがあってよくディスられてたことを覚えてる。まあ、そのあたりも若気の至りってやつで今では気にしてないが←気にしましょうよ!
あとはかなり自己中心的な考え方をしていたことかな。
とにかく目立ちたがり屋だったこともあってよく先生に注意されていたことも覚えている。
ある日、先生に本当にわからない問題があって「先生これわかりません!!!!」って手をあげて言ってみたら「わからないわからないうるさい!!」って無茶苦茶キレられたことがあって。今考えたら当時の自分かなりうざかったと思うw
この自己中のところは小学六年生の担任の先生が色々面倒見てくれたおかげでかなり治ったような気がする。あの当時はよかったな・・・
なお、目立ちたがり屋なたちは治って無いですね←反省は全くしていない。
後は・・・初の彼女がこの時だったかな。しかし何かよくわからずに自然消滅・・・いや、本当に子供だった。
中学へ入学
ここからがなかなか面白い。
まず、中学は小学校からの持ち上がりでメンツは小学校の顔ぶれしかいない。6クラス180名ぐらいだったから全然覚えれてた。
そこで出会った、親友が今でもなお親友であることは本当にすごいことだと思う。
そいつと出会ったのも一年生の時、入るとすぐに林間研修的なものがあって山中で1泊二日した。その時の班が一緒でかなり仲良くなった。
自分とそいつとはかなりオタク気質なところがあってすぐに気があった。小学四年生頃から自分はPCに触れていたこともあってあちらもあちらでオタクでいい感じにあった。
そして、性格も似ていた。宿題を出さないが、委員会なんかの仕事は積極的にやっていた。自分もそんな感じに宿題よりそう言った仕事の方が楽しかったんだと思う。
自分は中学生の時に吹奏楽部に入りたかった。音楽は好きだったし、何より少し楽できるかと思っていたからだ。しかし結果は・・・親曰く「中学生は一番体力付く時期なんだから運動部な、はい運動部な」と強制されまさかのバスケットボール部へ。
見学には行きました。全く興味のなかった某親友を率いて。結果自分は入らず親友は入部・・・くそー
んー今思えば何でしょう。何かと楽しかったんでしょうね。部活の雰囲気。
やってみるんですが、体が上手いこと動かないとディフェンスができない←多分怖いのと相手を傷つけそうだったんだと思うんです。
おかげで毎度ベンチでした。プラス、一個上からのいじめと一個下からのいじめがあり辞めたくて仕方なかったんですが親が絶対に辞めさせない圧と部員の周りからの重圧ありなぜか辞めなかった。ある意味すごくないかな・・・だからこそ今の温厚な自分がいるのかと思うとなかなかです。
そうそう、一時期本当に嫌いな先輩がいて(いじめてくるから)、こう2to2でやる時に「お前帰れ!」って言われて本当に帰って顧問と話たのを覚えてますね。懐かしい。もうあの地獄には戻りたくないw
そうですね、部活以外の学校生活はどうだったかというとこっちの方が面白かった。
数学、理科はそこそこいい点数、英語、社会、国語は死んでましたね。で、当時はアニメとニコニコ動画に超ハマり、最終的には歌い手もやっていたぐらいです。無茶苦茶無名で終わりましたが。
で、この投稿した動画が何と昼休みの放送で流れる(音声だけ )なんていう黒歴史もありました。その当時中のよかった校長先生が止めに入ってくれたそうですがネットは怖い。流す曲はリクエスト制で各々が持参し放送委員に渡す手はずになっていました。ですので、放課後に放送委員とその持参した当本人とで会議になったのを覚えてます。自分も彼らも怒られていたのを今考えるとなかなか恥ずかしいw
そうそう、先日その某友人からその動画を送られて来た時ほ本当にビビりました。捨てましょう。
後は、自分の中学は田舎だったので多くの問題が起こってましたね。先輩の話がほとんどですが、変電所に侵入し関電し一時停電。構内でのタバコの吸い殻、卒業式の長ラン?特攻服じみたものを来てくるやつら。向かいの後者からエアーガンで自分が標的となる。何時代。
中学三年生になり、音楽の先生として従兄弟のお父様がご赴任されました。親戚の先生が学校の先生としているのはなかなかに印象的で今でも忘れませんね。
そんなこんながあり、受験。
自分の成績的に進学しもっと上の学校に行きたいと思いますが、それほど成績が言い訳でもなく、推薦にかけることに。
毎年、人気で基本自分の学力では入学できない県内の高校。
試験日、筆記試験、口頭試験と面接があり面接は何もなくクリア。筆記試験は知らん。口頭試験では試験管に入った塩化ナトリウム水溶液から結晶を作ってというものだったんですがかなりテンパッていたようで。これを思い出して。
なぜか「液体の入った試験管を口を下にして燃やそう」ってなって液体が入っている中で傾けて燃やしていました。
やろとしたら試験管が止めに入って、大丈夫です。
で、帰っって気づく訳です。
「??????!!!!!!?!?!?!?!?!?!?!?!????!!!!!」
俺バカなのw
しかし、まさかの合格となり春から夢だった高校へ。
(まさかの定員割れだったことは内緒です。)
高校だよ
高校生になり、決めていたことが一つありました。
「文化系の部活に入る!」
もう、体育会系は嫌だ・・・となり、入ったのは
「弓道部」でした。自分にとってはちょうどいい運動ぐらいだったので最適でした。
そこでの出会いは今でも忘れません。大切な先輩方と大切な同期と今はあまり接点がない後輩と。最高の環境。弓道部には師弟制がまだあったので弟子ができたのは今でも覚えてます。(多分人生で最後の弟子)
後者は綺麗。校舎内には県の文化遺産の道場。頭のいい奴らが集まった環境。
しかし・・・
なぜかこれといった決まった友達ができず、コミュ力の無さに気づきそこからさらなるインキャの道へと進んでいきました。
確かに、無茶苦茶部活は頑張りましたしそれなりにいい思い出になりました。しかし、何でしょ。顔が広いってだけの人間になりましたね。今でも変わらないんですがそこにコミュ障はなかなかきつかった記憶が。
本当に天才でありながらバカしている人たちが多くてとてもいい環境でした。
高二の終わりに和装の世界大会にて準優勝を取る。前からやっていた和装でコンテストに出て多分歴代最速の速着で優勝絶対しただろうと思っていたが結果は準優勝。絶対、顔で判断してるな〜なんて思いながら。
はい。高校終わり。本当にこれといった記憶がない。
さあ、大学受験。
受けた大学一覧ピックアップしますか?
高知大学←推薦 ⇨志望している先生の学科違うよ?と面接で言われ笑われ落ちる
高知大学←前期⇨落ちる
鹿児島大学←後期⇨落ちる
東海一期(大阪)⇨落ちる
二期(大阪?)⇨落ちる
三期(広島)⇨落ちる
北里一期(大阪)⇨落ちる
二期(名古屋)⇨落ちる
三期(相模)⇨補欠合格なう
岡山理科大学⇨合格
受験期は本当に全国に津々浦々しました。高知の翌日名古屋でその翌日大阪みたいな。少し旅行でしたが、本当にここまで受けさせてくれた親には感謝だしここまで受からなかった自分に本当に殴りたい。
ここでも幸運だったのが補欠合格。本当に受かるなんて毛頭思ってなかった。
しかし、あれは北里の入学式5日前かな電話が来て
「今からこっち来ない?」
と言われ、暇もなく持っていく物もほぼない中で新居を即日で探し入居し枕がない一日を過ごした記憶がありますね。
いや、5日前ってよ。もう少し考慮してほしいぜw
で、晴れて春から志望していたさかなクンになる夢を叶えるべく、大学生へ!
大学生になったよ
まず、友達が一人で来た。そいつは出席番号が一つ前でそんな縁もあってか。しかし、何があったか夏休みが明けてからますます仲が悪くなった。今では本当に絶交レベルでどうしたんでしょうか・・・
そんなこんなでまず和装部に入部。自身が和装やっていたこともありもっとやりたかったので入部。しかし、今では幽霊。どうしてこうなった。
そして、写真部にも入部。今ではかなり撮るようになったが入部当時はすぐ幽霊化し三年引退ぐらいの時期で少しだけ復帰。アルバムを作っていただいた後輩には申し訳ない😞
そして、我が本拠地みたいな北里キャンパスナビゲーターに入部?入団?(これいつも迷っているんだよね)学校を学生の声から発信みたいな団体で自分もそういった活動をしてみたかった。特にPCは好きだったからそれを活かしたかった。しかし、入部するや否や立ちはだかったのがコミュ障。
先輩や同級との会話がうまく行かない。なんてことがよくあり、コミュ障改善本みたいなものを5冊ほど購入し読んだ。結果的に今ではかなりいい感じになったんじゃないかと思っている。(これ頑張ったって言える?笑)
そこからは独学にて本当にいろんなことを学んだ。
まずはダイビング。最初はインカレサークルなんかにも入ってたけどあの未成年飲酒で同級生たちの間で飲ませ潰すあの環境に耐えれず去る。(どこかは言わないけどね)
その後ネットで知り合ったダイバーさんに引き連れられアドバンス(最大深度まで潜れるライセンス)を取得。
それに加え学科の勉強。それほど成績はよくない。しかし、なぜか節々の豆知識的なところはすごく覚えていて雑学が本当に増えた。
他にはキャンナビ 関係でプログラミング(HTML,CSS,jQuery,JavaScript,VBA,PHP,MySQLらへんw)を学ぶことに成功し、映像や画像編集といった領域まで学習することができた。これはこの部活に入っていなければ手にしていなかった力だと思う。
プロローグ
そういった、学びから現在はIT企業に就職したいと考えへ日々奮闘中である。(ただいま絶賛暇な期間ではありますが)IT技術は本当に面白い。自分たちの生活がさらに生産的になり豊かになる。そんな技術を作る立場として今後は活動していきたいと考えている。
今回のタイトルについてあまり触れられていなかったが、自分にとってはこれら全ての経験が幸運であったと思う。美化しすぎなんて言葉があってもそれでいいじゃん人間なのでそれでいい。
ここまで見ていただきありがとうございました。